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エピローグ.『チャレンジ』 

自分の中で過去を振り返って、


何が自分が一番やりたいことなのか


少しは再確認ができたと思います。



何をやろうか?


でいろいろ考えて、やりたいことが見つかったら


まずやってみる。



やらないと、なにも始まらない


やる前からだめだと決め付けない


やってだめだったら辞めればよい


もしかしたら、その中の一つでも自分の中の知らない部分に


気が付くかもしれないから。



小説も書きたいし、映画のようなシナリオも書いてみたい。


音楽も作曲したいし、ゲームも作ってみたい。


どういうものが自分にできるのか、わからないから


まずやってみます。



また、その結果は皆さんにご報告できればうれしいかな。
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( 2009/10/21 14:33 ) Category はじめに | トラックバック(-) | CM(0)

5章.『現実』 

中学の時からの夢。


将来こうなりたいというビジョン


空想の世界だった学生時代。




そこから、現実の世界の今。



みんな、をもっているから現実の世界でも



楽しんでいける




自分は、今、ITと呼ばれている業界で仕事



しています。




しかも会社は「ビットシステム




このことは、学生時代一緒にゲームを作っていた


彼は知りません。



父が他界し、私に時間が無くなってから、


ほとんど会うことがなく、


その後、映画関係で仕事をしているという噂を聞きましたが、



15年くらい、会っていない。




会ったら、「ビットシステム」の会社を作ったんだって


教えたい。



お互いにいい年なので、仕事をしながら



またあの時みたいに、に向かい合える時間が欲しいな。



今回のお話は、もう一度彼に会いたいという思いから、



昔話を含め書きました。



私にとって決して忘れられない時間であり、


今後の進むレールでもあります。


5年後、10年後、少しは夢に近づいているといいな。

( 2009/10/21 02:02 ) Category はじめに | トラックバック(-) | CM(0)

4章.『回り道』 

父が他界して、明日からどうやって生きていくか?

そんなことを考えてばかりいました。


私の中で、それは結構早く決まっていました。


大学を辞めて「店を継ぐ



今まで、料理といったものを一切したことが無い

私ですが、フロアースタッフならできる。


バイトを雇わずに私が働けば、食べていけるんじゃないか?

と考えていました。


それを、母親にしたときに、

まぁ反対されました。当たり前ですが。。。


しかし、昔からそうなんですが、

母親がいうのは自分勝手なことが多く、人のことを考えないところが

あり、この反対も「大学を辞めて欲しくないから反対」。



結局、どうなったかというと、

大学に行きながらお店で働く」おいおい。無理だって。。。


当然、朝は仕入れに行き、その後大学、帰ったら仕事

仕事が終わったら大学のレポートや予習。。。


それが毎日です。ちなみに定休日は日曜のみ。


で、自分が働いた分は当然、無給なので、

自分には小遣いは入りません。。。


なので、唯一の休みの日曜日にバイトを入れ、

小遣いを稼ぐようになりました。



そのおかげで、大学も通うことができたので、

よかったのですが、今までやっていた趣味のプログラムという

時間がまったく無くなり、将来については漠然と「就職」という

程度しか考えていませんでした。



しかし、いざ就職するとなると、自分はプログラムしか

できないので、やはりプログラムの仕事がしたいと考えていました。


そのときは、ゲーム業界には興味がなく、就職できればいいやって

思っていました。


当時、プレイステーションとか発売されて、あんなゲームは作れない

って思っていたので。ゲームを作るのが大変なのはわかっていました

から、3Dとか無理!って思いました。



大学4年のときに自分でも覚えているのですが、

大学の就職相談で、就職部の人と話した会話で、


「就職は、IT企業に入ってまず技術を身につける」

「その後、4、5年でフリーになり起業」

30歳までに将来性を見て、再就職か継続を考える」


って言ったのを記憶しています。


今思うと、大学のときになぜ自分は「起業」したいと

思っていたのか。今となっては思い出せません。。。


うーーん、なぞだ。



で、無事、就職を果たし、


4年半で会社を辞め


フリーのSEになって、


高校のときに架空の会社で遊んでいた

ビットシステム」を設立しました。



30歳のときに、辞めればよいのに「継続」を選んでしまい、

法人化「有限会社 ビットシステム」となりました。



学生時代のビジョンはここまでだったのですが、


甘いなー。ここからは波乱万丈。


ぜんぜん思い通りに行かず、今に至ります。



あえて、「回り道」という表現をしました。


これは、今が私が理想とするビジネススタイルでは

無いからです。


理想としては、「新しい物を作り出し、不特定多数の人に

喜んでもらい、お金を得る



この単純なビジネススタイルを確立するまでは、

夢のスタートラインに立てていないと思います。



こんな、いつまで続くかわからない不況で、


政府は相変わらずのばら撒きと、物価を下げる政策をしようと

しています。


このままでは、中小の企業は生き残れない。


一刻もはやく、ビジネススタイルを見つけないと。

( 2009/10/19 23:30 ) Category はじめに | トラックバック(-) | CM(0)

3章.『夢の終わり』 

インフルエンザをなんとか治まり、

この休みは当たり前のように仕事してます。

ご心配おかけしました。



さて。

前回からの続きです。


学生時代のオママゴト会社「ビットシステム」。


その当時いろいろ作りました。

パソコンショップで売られているゲームを、

どうにかしてマネをする。


同じようなクオリティにするにはどうするのか?



そんな中、不思議とスキルは身につくもので、

以外にCGでそこそこ見れる絵が描けるように

なりました。

といっても今のパソコンのように、萌えキャラが書けるとか、

FFのように超きれいなCGがかけるというわけでなく、

当時のゲームレベルのCGです。

わかりやすく言うとファミコン版のドラクエ3くらいです。



また、一緒にやっていた彼も、驚いたことに音楽の才能が

あったらしく、オリジナルゲームサウンドを作ってもらったり

して非常に助かりました。


このときほど、こいつすげーなって思ったことはないですね。



あと、もうひとつ驚いたのは、彼が高校の文化祭のときに、

公開するために書いた、映画のシナリオです。

前から、ゲーム用のシナリオを作成したもらっていたので、

だいたいわかっていましたが、その映画用のシナリオは、

かなり完成度が高く、映像化して欲しいって思うくらい、

よくできていました。伏線の張り方などすばらしかったです。

これも未完成だったのかな?途中の映像を見せてもらいましたが、

完成版は見てないな。


そんな、やりたいことを、好きなときにやっていた二人ですが、

前回も書いたように、遊べるようなゲームは一つも完成しませんで

した。


いや、あったかな1つ、2つは???

それくらいでしたね。



でも、このときは将来自分はゲームを作りたいって

まじめに考えていました。


楽しい夢の時間はあっという間に過ぎ、二人は高校を卒業

なりました。


中学では同じ学校、高校では別々の高校でしたが

市内の学校ということもあり、会う時間は中学のときとあまり

変わらなかったのです。


しかし、高校卒業して、私は神奈川の学校、彼は東京の学校に

通うようになり、だんだん会う機会も少なくなってきて、

前のようにゲームを作るということはしなくなってしまいました。



そんなときです、私が大学一年の秋に現実の世界に突き落とされる

ことが起きたのは。



私が19歳のとき、父親が心臓病のため他界しました。



もともと自営業で飲食店を経営していた両親でしたが、

母親一人になり、今後どうするかを決断しなければいけ

なくなりました。ちなみに私は一人っ子です。兄弟はいません



お店のこと、大学のこと。。。将来のこと。



今までの、夢や自分のやりたいことは、このときに消えてしまいます

( 2009/10/17 01:03 ) Category はじめに | トラックバック(-) | CM(0)

2章.『思い出の時』 

こんにちは。

ついにインフルエンザ発症しました。

先週末から子供が発症し、昨日から私が39度の熱でした。

まぁ、仕事はしてますが。自分の会社だとそういうことができるから

よいですね。


さて、前回の続きです。



パソコンとの出会いをさせてくれた彼とは、その後

友達付き合いが続くようになりました。

あれはもう親友ですね。



その彼も、自分で何か作りたいという考えを持っており、

二人は意気投合しました。



そこから二人で、いろいろプログラムの勉強をして、

ゲームを作ってみようってなりました。



彼は私よりも先にパソコンでのプログラムをやっていたので、

いろいろ教えてもらうことができました。



お互いに中学、高校のときは、夜8時くらいから12時くらいまで、

毎日のように私の家に来て、ゲームの企画を考えたり、

実際にできたところまでを見せ合ったりしていました。

うちの家は夜、親は飲食店を経営していたので、誰いなかったので

ちょうどよかったのです。



そのときは、私は主に、企画、CG、プログラムを担当し

彼は、企画、音楽、シナリオを担当していました。



しかし、学生のそんなオママゴトではやはり完成させることは

難しく、どれも中途半端なできでした。

技術的な問題よりも、それを継続させて完成させるっていうのが

非常に難しかったです。



一つを作っているうちに、やっぱりこういうのが作りたいって

思うようになって。完成させる前に飽きてしまうのがほとんどでした


そのときから、どんな小さなことでも完成させなければ意味がない

言うことを学びましたね。それは今でも一緒です。



今だから明かしますが、

この彼と中学、高校時代にゲームを作成したときに、作った架空の会社

それが「ビットシステム」だったのです。



今のうちの会社です。
( 2009/10/15 15:53 ) Category はじめに | トラックバック(-) | CM(0)
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